48
「……まさか、あんた、光男さんか? いや、まさかな」
男は細い目を一段と細めてニヤニヤ笑った。奇妙な男だ。素性が判らない。
今日は休日だろうか。それとも毎日が休日だろうか。
昨日の新聞を読んでいる男。
太陽の下にいるが、太陽を遮るように小さく丸まり、新聞にだけ目を向けている。話しかけてきたのが不思議なくらいだ。相手を選んで話しかけているのだろうか。
世捨て人のようなそうでないような男。
幾分かの割合で、懺悔を望んでいたが、実際は望んでいない自分がいる。今は、この隣の男が非番の刑事でないことを望んでいる。
「僕が読んでたこの新聞、これ今日の新聞なんですけど、よかったらどうぞ。ああ、殺人未遂事件の犯人なんですけど、計画的で精神の喪失はなかったようです」
新聞を男に手渡し、ベンチを後にした。
「あ、兄ちゃん、ちょっと」
男の声がした。今なら、彼が時効を止められる。
了
47
「ええ? この事件、そんな経緯やったんか? 漫才師のほれ、何とかいう……、あの人が救急車呼んだけど、アカンかった。このOL、野村か? オペレータの?」
男は記事にまた目を落とした。読み入っている。
心拍数が速まって行った。額から汗が滲み出る思いがして、野球帽を取り、袖で拭った。また髪が数本抜けた。
「鋏くらいで死ぬか? まぁな、倒れたとき、打ちどころ悪かったり、本人の持病とかなぁ、色々あると思うけどな。でもな、鋏が原因と違うんちゃうか。刺されたままずっと生きてて、後からきた人にとどめ刺すってあるやんか。絶対他の人にも恨まれているで。案外実刑少ないんちゃうかな、そのハゲの人」
男は顔を上げると、視線をそのまま相手の頭部に向けた。
「ごめん……光男さんは……」
眉を顰めて、頭部を見ている。
47
「ええ? この事件、そんな経緯やったんか? 漫才師のほれ、何とかいう……、あの人が救急車呼んだけど、アカンかった。このOL、野村か? オペレータの?」
男は記事にまた目を落とした。読み入っている。
心拍数が速まって行った。額から汗が滲み出る思いがして、野球帽を取り、袖で拭った。また髪が数本抜けた。
「鋏くらいで死ぬか? まぁな、倒れたとき、打ちどころ悪かったり、本人の持病とかなぁ、色々あると思うけどな。でもな、鋏が原因と違うんちゃうか。刺されたままずっと生きてて、後からきた人にとどめ刺すってあるやんか。絶対他の人にも恨まれているで。案外実刑少ないんちゃうかな、そのハゲの人」
男は顔を上げると、視線をそのまま相手の頭部に向けた。
「ごめん……光男さんは……」
眉を顰めて、頭部を見ている。
45
開いたドアからは中年男が三人次々に降りてきた。ため息をついて、受話器を戻した瞬間、最後に女がひとり笑いながら降りてきた。
「だからダメなんとちゃいますか」
棘のある声だ。男のひとりが女を振り返りながら歩を進めている。
「じゃ、野村くん、明日頼んどくわ」
「はい、お疲れ様でした」
「お疲れさん」
女が外に出たのを見届け後を追った。
――あの女だ。
身なりに釣り合うほど、実年齢は若くはない顔つきだった。
玄関口で上司と別れ、歩き始めた。人通りはない。繁華街へ出てしまえば、機会を失ってしまう。
焦りから足早に駆け寄った。女は少し気配を感じたように振り返った。がそのとき、すでに後方から突進と同時に理髪鋏を突き立てていた。反動で女は地面に伏した。何やら声を上げていたが、頭が真っ白になり、鋏を握り締めたまま、ひたすら真っ直ぐ走った。
44
そのふたりは野村ではない。野村はまだ事務所にいる。
大きく息を吐き、受話器を一旦本体に戻した。壁の向こう側は一階のテナントが入っているはずだが、出入り口が見当たらない。
深閑としている。遠くに道路を過ぎる車の音が聞こえる程度だった。
エレベータの開閉の音がその位置を告げる。しばらく一階に留まっていたが、またすぐに上に呼ばれた。七階まで上がり続けた。人を載せる程度の間があり、六階に下り、やがて五階で一時停止した。心拍が大きく打った。五階から誰かを連れてくる。アメリカ屋の誰かに違いない。
耳から受話器がずり落ちるほどに、気持ちが表示に向かった。
動き始めると一定間隔で階下に下りてきた。もう誰も載せない。
表示が一階を示す寸前に、受話器を耳にしっかりと当て、少し顔を伏せた。
43
ドアが開いた。スーツの男がひとり乗っていた。視線が合うことが、気まずく思えた。スーツの男はそのまま、玄関を出て行った。 再びエレベータは上階へ向かった。五階に止まった。しばらく表示が止まっていた。
オペレータたちが留めているように思えた。そわそわし始め、手持ち無沙汰にまた公衆電話の受話器を上げた。
エレベータが下りてきた。受話器を耳に当て、話す振りをしながら、目線は表示を追っていた。
開いたドアから若い女がふたり降りてきた。どちらかが野村であろうか。
気を取られて受話器が少し耳から離れたとき、女たちの会話が聞こえた。
「野村さんは一緒じゃないの? 珍しく残業?」
「いつも率先してオンタイムに帰るのに」
ふたりは辺りも気にせず足早に出て行った。